New Type Adventure Game by falcom
太陽の神殿 ⎯ ASTEKAⅡ ⎯
対応機種 : NEC PC-8801シリーズ
メディア : 5inch 2D (2枚)
定価 : 7,800円
発売日 : 1986年10月12日
販売元 : 日本ファルコム
○FM音源ボード対応
○旧PC-88は要漢字ROM
◯ジョイスティック対応
◯シングルドライブ対応
◯セーブ用にブランクディスクが1枚必要
目次
太陽の神殿 -ASTEKAⅡ- for PC-8801
※マニュアル抜粋
PACKAGE REPRODUCTION
『太陽の神殿 -ASTEKAⅡ-』について
◆『太陽の神殿 -ASTEKAⅡ-』(PC-88版)概要
『太陽の神殿 ⎯ ASTEKA Ⅱ ⎯』は日本ファルコムが開発し、NEC PC-8801シリーズ用として1986年10月12日に発売したRPGタイプフルグラフィック・アイコン選択方式アドベンチャーゲーム。開発期間は構想を含めると当時としては異例の長さ(本格的な始動は1986年1月頃でプログラムに入ったのは4月上旬とのこと)であるおよそ18ヶ月。
PC-8801シリーズ版 の発売を皮切りに11月20日にはNEC-9801シリーズ版とSHARP X1シリーズ版が発売。12月14日には 富士通 FM7/77版が発売している。後に東京書籍からMSX2版と任天堂 ファミリーコンピュータ版 が発売。日本ビクターからセガサターン(ファルコムクラシックスに収録)版、アンバランス から Windows95/98 への移植も行われている。また、2022年2月26日にはシャープX68000シリーズ用として『ファルコム・アーリー・コレクション For X68000』が発売された。
◆『太陽の神殿 -ASTEKAⅡ-』開発スタッフ
企画・シナリオ・マップデザインは宮本恒之(Tsuneyuki Miyamoto a.k.a. ロリータ宮本/ブラック・マジシャン/黒魔術師, 1964年3月10日-)、メインプログラマーは橋本昌哉(Masaya Hashimoto, 1961年5月2日-)が担当した。
宮本恒之は1982年からファルコムに関わりがあったが、1985年4月13日に発売した『アステカ』の企画・原作・シナリオで初めてメインを担当。文才に長けており、マニュアルの執筆やストーリー作成を多く手掛けている。スタッフロールに記載されている「PLOT PROGRAM」は解釈で誤解が生まれやすそうだが、全体のブロック図作成、各シーンのコーディング、シーン毎のアイテム有無などといったプロットをパソコンにデータを移す作業ということだ。『太陽の神殿』開発中には『ドラゴンスレイヤー ゲームブック』(MIA出版 6月20日発売)『ザナドゥ・ファイル』(JICC出版局 8月1日発売)という2冊の書籍を相次いで執筆している。
橋本昌哉は入社時期が3月のため『太陽の神殿』の開発途中から参加、メインプログラマーとしても初仕事になる。後に『イース』シリーズのプログラマーを務めたことは界隈で有名だろう。
また、パッケージや広告、マニュアルなどに用いられたオブジェ・ジオラマはイラストレータやモデラーとして活躍されている横山宏(Kou Yokoyama 1956年6月15日- )のものだ。過去の作品では『ザナドゥ』(1985年発売)や『ザナドゥ・シナリオⅡ』(1986年発売)で使用されたモンスターの原画やオブジェを作成している。
※宮本恒之の好きなゲームは『天使たちの午後』『エリカ』(笑)業界内でロリータ宮本と呼ばれる所以はこのあたりからか。
◆諸説ある発売日の謎に迫る
PC-8801シリーズ版の発売日には諸説ある。最も多いのが10月24日。これは チャレンジ!!パソコンアドベンチャーゲーム&ロールプレイングゲームⅡ(電波新聞社刊)や 月刊ログイン(アスキー刊)に記載された発売日だ。2011年に発売された Falcom Chronicle(電撃攻略本編集部刊)では10月9日記載。しかし、日本ファルコムの広告には10月12日発売とある。こういう時に判断の指標となるのがバックアップツール(コピーツール)だ。そこには、パラメータを作成した日付(861014)が添えられている。公表している発売日を前倒しすることは考えにくいので、発売日は10月12日が正しいだろう。また、発売日延期になって雑誌などの10月24日になっているという可能性はバックアップツールのパラメータにある日付から考えられない。
◆ASTEKAⅡだがアステカではない
『太陽の神殿』は副題に「ASTEKAⅡ」と付くことから分かるように、1985年4月13日に発売された『アステカ』の続編にあたる。『アステカ』のエンディングメッセージに"please continue next Adventure Asteka II."と表示されることから開発中からシリーズ化されることは決まっていたようだ。ただし、ウィルソン博士の行方やアニーがなぜ翡翠を求めたのかといった伏線回収が行われるということは一切なく、完全に別物として作成されている。唯一の共通点はマヤ文明を題材としたものということだけだ。しかも共にアステカ文明とは一切関わりない。
現実的な理由として考えられるのはストーリー上の続編としても人気が見込めないということで方向転換した可能性。夢のある話として考えられるのはシリーズ化を想定していたとのことなので最後はマヤ文明からアステカ文明、そして伝説のアトランティス文明に繋がる壮大な構想であったのかもしれない。(想像)
◆舞台となるチチェン・イツァーについて
ゲームの舞台はユカタン半島に位置するチチェン・イツァー(チチェン・イッツァ)だ。前作『アステカ』の舞台となった パレンケ からはおよそ660km、車でおよそ8時間半の位置にある。
チチェン・イツァーはマヤ文明を中心とした8つある大規模な遺跡(小規模なものを含めると判明しているだけで現在4400カ所を超える)の1つで1988年には世界遺産にも登録されている。
【古代文明の謎を解け】マヤ伝説の遺跡/トロイア戦争 | 解明・世界伝説ミステリー (ディスカバリーチャンネル)
『太陽の神殿』を始めるにあたってチチェン・イツァーに関しての歴史や神秘的な謎に関しての予備知識を持っておくとより楽しめるだろう。そのため、マニュアルには遺跡ガイドが用意されており、マヤ文明やチチェン・イツァーに関して学ぶことができるようになっていた。現在では専門書を購入しなくてもマヤ文明やチチェン・イツァーの様々な情報を動画で得ることが可能だ。
1000年も前に先進的な建築、数学、歴、芸術、天文学といった高度な文明を築いた謎に満ちた都市が舞台だ。ゲームで起こるであろう様々な現象ももしかしたら、なんて想像も掻き立てられる。そうあっても不思議でないと思わされるのがマヤ文明の世界なのだ。
ゲーム内に登場する遺跡は一部を除いて現在でも実在するのがポイントの高い部分だ。また、各遺跡の位置関係は概ね忠実に作られている。ただし遺跡の内部や神殿跡、壁などはゲーム用に作られたオリジナルの設定であり実際とは全く異なる。しかしながら、遺跡本来の役割を活かしたゲーム作りになっている。
◆漢字表示などに感動した淡い思い出
1986年頃はPC-8801mkⅡSR以降のゲームだけではなく、PC-8801全シリーズ対応というゲームは割と見受けられた。そのため漢字ROMを搭載しないPC-8801まで対応させるためカタカナ表記のゲームがまだまだ見受けられた。そんな中、アドベンチャーゲームに漢字が表示されているというだけでいたく感激した鮮烈な思い出がある。もちろん、当時でも『殺人倶楽部』や『は~りぃふぉっくす 雪の魔王編』、『カサブランカに愛を』など有名作で漢字表記が行われているアドベンチャーゲームはあるのだが、私のゲーム遍歴では直に見る機会が無かったのだ。
『太陽の神殿』を初めて見たのは近所のUR団地に住む友人イワクラくん(通称:イワさん)の家だった。PC-8801mkⅡFR model20(シングルドライブ機種)ユーザーであったイワさんの兄が早解きが得意な人(『ハイドライド3』の終了認定証番号はたしか8番)だったのでスタートから最後までぶっ通しで見せて貰った。一部、不安げなところはセーブしながら進んでいたが…それでも解説をしながら進めていく様を見ていると、脳内でインディージョーンズが再生されているような錯覚に見舞われるまさにアドベンチャーなゲームだった。
解説っぷりは例えるなら近所に住む似非・山下章。しかし、ホンモノとは異なり、失礼ながら在学する高校は中の下レベルだった。なので、ゲームの謎解きに使用する頭脳は読みと閃きで学力と比例するものではない、と超強烈に感じたがいくら大阪人でも口には出せなかった。(わきまえ大事)
◆本当の冒険のような体験ができた興奮
『太陽の神殿』は横で見ているのと自分で実際にプレイするのとでは印象がガラリと変わった。本当の冒険を疑似体験するようなもので『分かりやすい』ヒントなど何一つないことに気付かされる。冒険は数々の罠や仕掛けでプレイヤーを翻弄するが、プレイヤーの閃きがあればマヤ文明に隠された『太陽の神殿』や秘宝ともいえる「太陽の鍵」に近づける仕組みだ。もし観察力や発想力がなければ、秘密に迫る無法者を排除する罠によってこの冒険は間違いなく失敗する。下手をすれば「太陽の鍵」を持ち帰れないだけではなく、事実上命をも落とす結果となる。唯一の救いはセーブやロードが多くの場面で行えること。これで、失敗を恐れず好奇心のままに行動することができる。恐れや不安で行動が萎縮しては製作者の思う壺。そして壺は壊せ。
◆アイコン選択式という新たな試み
冒険の肝となる命令の実行は旧来のテキストをキーボードから入力を行うコマンド入力式タイプではない。コマンド選択式の動詞にあたる部分と持ち物(アイテム)をアイコン化した新しいインタフェースを採用したアドベンチャーゲームとして登場した。また、遺跡間などの移動は見下ろし型ロールプレイングゲームと同じような操作方法で行うため、遺跡の入れる場所やイベントの起こる場所をフィールド上で見つけることもプレイヤーの謎解きに組み込まれている。そして、当時のアドベンチャーゲームとしては珍しくキーボードを使わずジョイスティックだけでも操作可能とし、家庭用ゲーム機に歩み寄るある意味の優しさを投じた。(注:あくまで一般操作のみでセーブやロード、ディスク入れ替えの際はキーボードを使用する)
たしかに画期的で、命令や持ち物をアイコン化したことにより数多くのコマンドがすっきりした先進的なインタフェースになった。ただし、分かりやすくするための各アイコンがどういった命令か覚える必要がある本末転倒な難点が発生した。行動だけで12アイコンもあり、ゲームを行うにはこれらの役割をまず覚えなければならないというプレイヤー側の負担が増えている。また、一般的なコマンド選択式では『洗う』や『壊す』など細かい選択肢は必要な場面にのみ登場することが多い。しかし、全12コマンドが常に使えるため1場面での『何を行うか』という選択幅が広く、アイテムとの組み合わせもあり難易度を高める要因にもなっている。
◆すぐに迷ってしまう広大なマップ
遺跡間を移動するフィールドは15画面×15画面の合計225画面にも及ぶ。しかし、実際に遺跡や泉の存在する画面数はその中の6画面に過ぎない。スタートしていきなり製作者との駆け引きに翻弄されるだろう。軽い気持ちで少しでも深く密林へ足を踏み入れると同じような景色が続くため元の場所に戻ることは容易に叶わなくなるのだ。無意味とも思えるその広大なマップには何か別の仕掛けを施そうとしていたのか、単純に迷わせる手段だったのか謎のままだ。
実際のところゲームであってもマップはあくまで実在するチチェン・イツァーの地理に基づいており遺跡から「遠く」離れた場所に秘密が用意されることは無かった。ウラを読むという行動はこの密林においては実は何も無いという引っ掛けなのだ。迷わせるというのが製作者側の意図だったのだろう。これには皆一度は引っかかったのではないだろうか。なお、一部移植作では無意味と捉えられ無意味なマップは大幅にカットされている。
◆神秘的なイメージを活かしたゲーム作り
『太陽の神殿』はマヤ文明のもつ神秘的なイメージを存分にゲームへ活かしている。その1つが天文学や歴に長けていたと言われるマヤ文明に絡めた「胸飾り」。建物に入ったり、『待つ』ことで月が満ち欠けし時を表す不思議なアイテムだ。これによりゲームそのものに時間の概念を取り入れることに成功している。
「胸飾り」の存在だけではなく、その役割も神秘的だ。月の満ち欠けにより効力のあるイベントのタイミングを計るときに使用する。本来ならば実際の月の満ち欠けにしたかったのだろうと予想されるが、そうなると進行も大変なことになるのでアイテムに置き換えたのだろう。
この「胸飾り」に関わる重要なヒントの出し方も絶妙で神秘的な仕掛けが用いられている。それが、火をくべた香炉から漂うコパルの香りを嗅いで不思議な気分になったときに見ることができる「壁画」だ。芸術にも長けていたマヤ文明のイメージをここでも活かしている。
浮かび上がる壁画は何を描いているか意味不明なのだが、その絵を更に「見る」とすれば異様に洞察力の高いメッセージが大きなヒントとして表示される。こういった数々の仕掛け、謎解きに対するリンクのさせかたも非常に素晴らしい。
◆難しいというだけで切り捨てるには惜しい作品
『太陽の神殿』の感想として罠や仕掛けに対して理不尽で難しいとばっさり切り捨てるプレイヤーは少なくない。しかし、冷静に考えてほしい。確かに罠や仕掛けは理不尽ではあるが、映画やゲームにおける冒険とはそういうものだ。侵略者であるトルテカ族から神聖な鍵を守るために古代マヤ人が数々の罠を仕掛けているのは当然のことだ。冒険映画であれば落とし穴や毒矢、天井落下、閉じ込められる、巨大な岩が転がってくるなど遺跡にはお約束として罠や仕掛けが必ず用意されている。視聴者が想像できない罠や仕掛けを理不尽と切り捨て面白くないと映画を見るのを止めるだろうか。そうはならないはずだ。視点を変えて初見で突破できないような罠や仕掛けを悪と考えず、罠に引っ掛かることも楽しんでほしいと個人的には思うのだ。
「太陽の鍵」までの道のりは非常に険しい『太陽の神殿』。優しさの部分は操作面やセーブ可能数の多さ以外にないのだろうか。もちろん、そんなことはない。
例えばジャガーだ。一般的なアドベンチャーゲームなら間違った行動を取ればジャガーに食べられておしまいというのがオチだろう。しかし、『太陽の神殿』ではそういった残酷なシーンはなく、必ず逃げられる。ジャガーの件を除いても、例えばいけにえの泉に落ちて溺れ死ぬなんてイベントもない。閉じ込められても毒ガスが出てくることもない。密林で迷っても餓死することもない。無惨な死や、残酷な死など直接的な死を見せられることが無いのだ。チチェン・イツァーには欠かせないチャクモールが避けられているのも残酷さを連想させるのを避けるためではないだろうか。これらはある意味の優しさだろう。
優しさはインタフェースにも隠れている。それは「置く」「使う」のコマンドだ。画面上のものを「取る」という行為には勿論「何を」という選択は必要だが、持ち物を「置く(はめる・セットする)」であったり「使う」という行為に対して「どこに」という選択はどこを選んでも自動的に適切な場所へ適用される。(ある意味適切でない場所にも使用される)
だったら、場面ごとにアイテムを総当たりで置いたり使ったりすれば簡単に進行できると思う人がいるかもしれない。しかし、その答えはノーだ。そのあたりもしっかり考えられて作られているのでしかるべき場所でしかるべきアイテムを使用しないと場所によってはドエライことになるように抜け目なくきっちり作られているいる。
結局のところ、一度エンディングまでの道のりを先に見たにも関わらず、私には『太陽の神殿』をノーヒントで「太陽の鍵」を見つけることができなかった。では、それで面白くないと判断したかというと全くそんなことはない。当時はゲームを自力でクリアできるものとして認識していなかったし、エンディングを絶対見なければいけないという使命感でプレイしていたわけではなかったからだ。
冒険に行き詰まっても失敗で終わらせても満足していた。なぜなら、一つの新しい発見でエンディングを見たのと同じくらいの高揚感を得られたからだ。この感動はストーリーを追うだけのアドベンチャーゲームではなかなか得られないはずだ。用意された仕掛けに100%筋が通っているとは言わない。しかし、行動の1つ1つを振り返れば仕掛けも含めて意味がある作りになっていると理解できるだろう。
行き詰まってしまって、解決法はゲーム中に全く思いつかないのに、勉強中にふと降臨する閃き。ヤケクソで乱用する「壊す」コマンド。試してみたら進展した、なんて経験は同世代のプレイヤーなら1つや2つあるのではないだろうか。私にはそういう事象が発生することは度々あった。まさに手のひらの上で踊らされていたのだが、それがまた最高に心地よかった。こちらの心理を読んで引っ掛けも含めたイベント進行に使い翻弄させてくる宮本恒之は天才なんじゃないかと思ったものだ。
◆想像以上に売れていなかった『太陽の神殿』
残念ながら、今となっては難解な『太陽の神殿』を受け入れられるプレイヤーは殆どいないだろう。当時でも爆発的ヒットではなかったが、一時は売上のTOP10に入るくらいには売れていたし人気もそれなりにあった。ただ、開発期間に対する売上を考えると短期間で開発され同時期に発売、人気を博した同社の『ザナドゥシナリオⅡ』、『ロマンシア』には中長期的に見て惨敗した結果となった。では、『アステカⅢ』はそのために作られなくなったのだろうか?
実は、日本ファルコム(加藤社長)の意向は『アステカ』シリーズを存続させる予定だったようだ。プログラマーの 橋本昌哉が次の開発として出した企画は『アステカⅢ』しかOKが出なかったとの事で、これをスクロールするアドベンチャーゲームと欺いて作成されたものが『イース』のプロトタイプということだ。(同じようなイザコザは後の作品でも聞くことになる)結局のところ現場の作り手が『アステカ』シリーズを作る意欲が無かったというのが立ち消えた大きな要因のようだ。これ以降、『アステカ』シリーズは日本ファルコムから姿を現すことがなかった。
タラレバだが、宮本恒之が日本ファルコムに在籍を続けていたならば、『アステカⅢ』、いや『アステカ』シリーズは存在した可能性は大いにあったと思わずにおれない。
◆日本ファルコムからも遺棄された『太陽の神殿』
今ではチチェン・イツァーと同じ道筋をたどるように日本ファルコムからも遺棄されたかのような『太陽の神殿』。あの時感じた面白さは幻だったのだろうか。
今回ページを再構築する際に再びプレイする機会を得た。やはり、「太陽の鍵」を手に入れるとなると確かに高難度だ。そして地味だ。勇者やヒロインもいない。デカキャラも出ないし、剣や魔法もない。だが、実在するチチェン・イツァーの遺跡、延いてはマヤ文明の神秘的な世界観にどっぷり浸かり、現実では決して味わうことができないスリルと興奮に満ちた冒険を今でも変わらず体験できる。ああ、これもある意味ハマリなんだな。お見事です、宮本さん。
◆美しい旋律と響きで心を打つ名曲揃いのBGM群
『太陽の神殿』はBGMにもかなり力を入れていることが広告からも伝わってくる。先述で軽く触れたが、1986年10月は日本ファルコム史上空前のゲームラッシュだった。なんと、およそ2週間の間にPC-8801mkⅡSR以降版『ザナドゥシナリオⅡ』(10月2日発売)、X1シリーズ版『ロマンシア』(10月6日)、そしてこのPC-8801シリーズ版『太陽の神殿』(10月12日)と3本のラインナップが同時期に発売されている。その3作の中で唯一BGMに関して広告で打ち出していたのが『太陽の神殿』だ。
これら3作の楽曲を数多く手掛けたのは阿部隆人(Takahito Abe, 1960-)。国立音楽大学卒業後、サラリーマンの傍ら作曲の勉強を続け1986年に独立し、外注として日本ファルコム3作品の音楽を手掛ける。(作品番号から、太陽の神殿 は『ロマンシア』に続き2番目に作曲された様子が伺える。)PC-8801mkⅡSR以降版の『ロマンシア』オープニングテーマ、『ザナドゥシナリオⅡ』では古代祐三(Yuzo Koshiro a.k.a. YK-2, 1967年12月12日-)が一部関わっているものの、『太陽の神殿』は阿部隆人一人で全曲担当した作品だ。
『太陽の神殿』が登場するまで、アドベンチャーゲームでBGMが流れるシーンはオープニングやエンディングだけで、ゲーム進行中はBGMが一切なく音の演出は効果音が鳴る程度だった。『太陽の神殿』の偉業は国産アドベンチャーゲームでは初めてゲーム進行中のBGMを用意したことだ。一部の演出を除き、常にBGMが流れるというのは今となっては常識だが、それまでのあえて鳴らさないという常識を変えたのがこの作品だった。(文字を読むのに音は不要という反発を想定してかサウンドはOFFにもできるようになっている。)
ファルコムゲームミュージック
アルファレコード/1987年11月10日
メディア/価格:
CD 28XA-179 2,800円
CT ALC-22914 2,200円
LP ALR-22914 2,200円
収録曲:Y'S(イース) ①Feena ②Fountain Of Love~First Step Towards Wars ③Palace Of Destruction~Beat Of The Terror ④Tower Of The Shadow Of Death~The Last Moment Of The Dark~Final Battle ⑤The Morning Grow~See You Again ⑥Palace Of Destruction ⑦The Morning Grow ⑧太陽の神殿 ⑨ドラゴンスレイヤーⅣ(ドラゴンスレイヤー・ファミリー) ⑩ロマンシア(ドラゴンスレイヤーJR) ⑪ザナドゥシナリオⅡ
当時、『太陽の神殿』のBGMを初めて聞いたのが発売からおよそ1年後にリリースされたこの『ファルコムゲームミュージック』という人も多いのではないだろうか?しかし、このアルバムに収録されているのはオリジナル音源と大きく異なっている。殆どの音色が異なっているのに加え、通常シーンで流れる「Cenote(聖なる泉)」だけはオリジナル音源より大幅に豪勢なFM音源3声+SSG音源2声で奏でられている。オリジナル音源を収録した作品は出なかったため、これを長らくオリジナル音源と思いこんでいたリスナーも多いに違いない。
オリジナル音源のBGMはFM音源3声のみで演奏されSSG音源は一切使用されていない。音色も極めてシンプルでピアノ系とベース系の2種類しか使用しておらず、1,2chはピアノ、3chはベースの構成。(村娘のBGMである「Una Muchacha de la Aldea」だけは音色がピアノ系の代わりにアコースティックギター系の音色が使用されている)
楽曲の納品は一般的なデータで受け渡されたようだが、最終的なデータ化はプログラマー側に委ねられたようで音色などの変更があるようだ。PSG専用で演奏されるX1シリーズ版は当然ながら、PC-8801シリーズ版と同じ音源チップ(YAMAHA YM2203)を搭載する富士通 FM-7/77版も微妙に異なる作りとなっている。(PC-9801シリーズ版は「Mundo Perdido(失われた世界)」が異なる)
BGMの中ではオープニングタイトルで使用されている「Templo del Sol(太陽の神殿)」が最も有名だろう。音楽CDなどの単独アルバムは発売されず、曲の知名度はそう高くないはずなのに「Templo del Sol(太陽の神殿)」だけがずば抜けて知名度は高い。この曲は、FM音源での打ち込みや、外部MIDI音源が流行した1990年代前半まで習作としてよく聞く機会があった代表的な曲でもあった。後の作品『イース』ではファンサービス的に曲を使用しているが、それでもここまで有名にするまでの事象ではないだろう。(レアの吹く曲が『太陽の神殿』の曲と気づかない人もそこそこいたのではないかと推測する)
日本ファルコムの音楽シーンを語るとなれば、どうしても『イース』や『ソーサリアン』などの古代祐三に話題が偏りがちになる。対して『太陽の神殿』のBGMは派手さもなく、音色も打ち込みもシンプルで凝った作りではない。しかし、阿部隆人の曲は、美しい旋律と響きで心を打つ名曲揃い。そしてたった3声なのにチープさや物足りなさをまったく感じさせない完成度の高さ。恐るべしだ。
「失われた文明の謎と古代遺跡への神秘とロマンを感じさせる叙情的音楽」というキャッチコピーも伊達ではない。チチェン・イツァーの遺跡を彩る冒険のBGMとして全ての曲が違和感なく馴染んでおり、日本ファルコム作品の中でも屈指の名曲揃いだ。それは先程述べた習作の多さが証明しているのではないだろうか。
はじめに
太陽の神殿、そして神々との交流をもたらす不思議な鍵にまつわる一連のいい伝えを、私は、メキシコ高原とユカタン半島にまたがる密林の奥深くで耳にする事が出来た。
彼等は密林の奥深くに隠れ住み、いまだ外部との接触を拒み続けている少数の部族だ。彼等の遠い祖先達は、密林をきりひらき、現在に到ってもその威厳を失わない数々の神殿都市を築き上げていった古代人達だ。
残念な事に、歴史の例にもれず、彼等もまた外界からの侵略をうけ、次々と都市を放棄し密林の奥深くで衰退し滅んでいってしまった。
マヤ・・・私を魅了し続ける神秘のベールに包まれた謎の古代文明。ああ、彼らの都市が活気に満ちていた日々から、すでに幾世紀もの歳月が流れてしまった・・・
彼らの残した遺跡を垣間見るたびに、心がきつく締めつけられるかのようだ。
密林で出会った彼等は、遠い祖先からのいい伝えを語ってくれた。しかし、残念なことに、それは私の求める全てを充たしてはくれなかった。
彼等の知るいい伝えは、もはや断片的なものにすぎず、断片の間の空白を埋める事の出来る者もいなかった。
私は、彼等の語る失われたいい伝えの断片を、自らの知識と想像で補わなくてはならなかった。
遥か遠い昔、彼等の祖先達は、なぜあれほど数多くの神殿都市を築いていったのだろうか?
神々が身近な存在だったからだと、彼等は語ってくれた。
偉大な神殿建築者達であった古代の人々は、自由に神々と会うことが出来たという。
その為には、いにしえの神官が、神々の国に至る道への扉を開くだけでよかった。
神官は、どうやって扉を開いたのか?
・・・・鍵、そう、特別な鍵でだ。
それは彼等が伝説の遥か東方よりやって来た時に、神々から与えられた世界に一つしかない神聖な鍵だった。
私が聞き間違えをしていなければ、それは太陽の鍵と呼ばれるものだったらしい。
各地にある太陽の神殿は、太陽の鍵を納めていた建物だった。
彼等が都市を移ると共に、当然ながら鍵も移した。その為、各時代で中心的役割を果たした都市には、太陽の神殿があったのだ。
では、最後に中心的役割を果たした都市は?
歴史上のマヤ最後の都市は、北グアテマラの辺境に築かれたタヤサルだ。
しかし、その都市が築かれるまでの間に、部族間の内乱が起きているし、さらに遡れば、トルテカ族による侵略もなされている。
本当のマヤはタヤサル以前に終わっていた。少なくとも私にはそう思える。
マヤの神官達が果たして、神々より与えられた神聖な鍵を、他の民族に渡してしまうだろうか?
馬鹿な、そんなことは神官達にとり、神々を汚す背信行為以外の何ものでもないはずだ。
彼等は、侵略して来たトルテカ族から鍵を守る為に、懸命な努力を強いられなければならなかったと考えるのが、最も妥当ではないだろうか。
トルテカ族が、ユカタン半島を次々と攻略していった事が、マヤの年代記に記されている。
その時代、中心的な役割を果たしていたのは、チチェン・イツァーだった。
もし、ここに鍵が隠されていたとすれば、何百年もの間、ここが聖地として巡礼者が数多く訪れた場所であったのも、納得がいく。
太陽の神殿、そして太陽の鍵は、果たして本当に存在するのだろうか?私には、確信すべきものが何一つなかったが、強い何かを感じたのだった。
古代の人々が交流出来たという神々とは?
そして人間とは?
なぜ文明は滅びゆくのか?
全てが、太陽の神殿と、納められた太陽の鍵を見つける事で、明らかにされるような気がしてならない私だった・・・・・・
このゲームの特徴
このゲームは、他のアドベンチャーゲームとは、全く違った新しいタイプのものです。
プレイヤーは広大な地形の上を歩き、建物等のアドベンチャー場面に入ります。
これはまるでRPGのようです。密林の中にある遺跡を、静かなBGMを聞きながら訪れ、まるで自分が本当にその場面に旅行しているかのように楽しむことが出来ます。
入れる建物等の前に来ると、カーソルが点滅して教えてくれます。
アドベンチャーは全て、アイコンを選択するだけで行われ、全く文字を入力しません。
やりたい行動のアイコンを選び、やりたい場所又は、ものを選ぶだけです。
今までのように、何をやればいいのかわかっているのに、入力する言葉が見つからないといった不合理さがなくなり、よりアドベンチャーが楽しくプレイできます。
ですから、使うキーも、テンキー、スペース、リターンあるいは、ジョイスティックだけでプレイ出来るのです。
使用キー
⇧
8 ⇦4D6⇨ 2 ⇩ |
移動 カーソルの移動 |
---|---|
SPACE or Z | 機能の選択 |
⏎ or X | 命令の実行 |
S | サウンド ON/OFF |
Q | セーブ、ロード(フィールドのみ可能) |
画面の説明
●フィールド
特定の場所に来ると、四角いワクが点滅。この時にスペースキーを押すとアドベンチャーシーンに移行する。
●アドベンチャーシーン
命令アイコン
最後に
チチェン・イツァーに秘められた謎は、実に深遠です。
他民族の侵略から貴重なものを守る為に、古代の神官達がどのような努力をしたのかは、勿論なんら記録されていないのです。
推測できることは、もし、彼らが守ろうとしていたものを手に入れようとした者には、死が待ち受けているか、逆にそれが誰の手にも触れさせないよう、永久に封じ込めてしまうしかけを働かせてしまうかのいずれかです。
冷静に判断しなくてはなりません。
古代の神官達が、侵略者から彼らの最も大切なものを守ろうとした気持ちになって考え、想像しなくてはならないでしょう。
謎を解く糸口は、必ずこのチチェン・イツァーの遺跡にあるはずです。時間はたっぷりあります。
この遺跡が完全に崩れ去るまでには、あと数世紀もかかるでしょう。最も冒険者はそんなに長く生きてはいられませんが・・・
ひとつ、ひとつの遺跡を訪れ、まずは観光気分で覗いてみるのがいいでしょう。
チチェン・イツァーの主な遺跡
●尼僧院(Case de las Monjas)
カラコルのそばにある一群の建物の一つであり、この名前はどうやら、スペイン人達がつけた名前らしい。
トルテカ族が侵略する以前の建物で、宮殿のような造りで、壁面には多数の小さな石彫りがモザイク状にはめられている見事なものである。
●高僧の墓(Tumba de Sacerdotes)
崩壊が著しいこの建物は、文字通り墓を収めたピラミッドであり、形式はおそらくパレンケ等でみられる十数段の露台の上に石彫のある屋根飾りの造られた方形の建物であると思われる。高さは十数m~20mくらいと推測される古典的マヤのものである。
●カラコル(Calacol)
カラコルとは、巻き貝の意味ではあるが、マヤでも珍しい高さ13mの円塔が高さ9mの露台の上にのっている建物である。このカラコルは天文台として使われていたようだ。
壁には四角い観測用の窓があり、春分の日や日没の方向や、月が最北点に沈む方向との照準線として用い、その観測点から、太陽、月、金星等の運行を調べ、歴や予言に用いていたことが古文書によって示されている。
観測は全て肉眼で行われ、それをもとに今日でも通用する諸計算をしていたのだからまさに驚きだ。
この建物は、トルテカの文化とマヤの文化が融合し、一つになるまでの過渡期のものだと言われている。
●カスティーリョ(Castillo)
スペイン語では、城と言う意味になる別名、ククルカンの神殿とも呼ばれる高さ23m、底辺55m四方の建物だ。
遺跡の中央付近にあり、四方に91段の階段がもうけられ頂部の1段を加えると365段になる。9層からなるこのピラミッドにはマヤの52年周期の歴が示されているのだ。
この建物はトルテカの影響を強く受けた建物で、マヤ本来の優雅な装飾もなく、あっさりとしている。代表的な新チチェンのものである。
●戦士の神殿(Templo de los Guerreros)
まわりを千住の間の柱で囲まれた3層からなる建物で、トルテカ文明の首都トゥーラに類似するものを見出すことが出来る。
神々や戦士の刻まれた四角い柱に囲まれたこの建物は、北側のチチェンが、トゥーラに見習って築かれていることを特に強調しているものと言えよう。
●聖なる泉(Cenote)
直径66m、深さ20mの泉であり、ここに、雨の神の為に美しい乙女が投げ入れられ、生きて上がって来れた者は神々から授かった予言を語ったと言われている。 その他にも、宝石や、貴重品が捧げられ、後年この泉の中をさらって調べた結果、女性8体を含む42遺体と数多くの細工品等が発見された。
●球戯場(Juego de Pelota)
全長150m、中南米にある遺跡のなかで最大規模の球戯場である。
マヤの球戯はどうやら豊作を願って行われる宗教儀式であり、ゴムのポールを壁にもうけられた輪にくぐらせて競ったという、 どことなくバスケットボールをほうふつとさせるようなものだったらしい。両側の壁は高くせり上がっているが、これは声が場内で響くようにする役割もはたしている。
尚、試合に勝った者はその栄光を担い、いけにえとして捧げられたと言うが、流血の儀式がマヤ本来のものであるかどうか疑問を持つ研究者もいる。
超絶ハマリ
組み合わせたらどうしようもなくなった
底浅のカメと小杖を組み合わせると、なんと方位磁石的なものが完成する。しかし、それを組み合わせるのは今じゃないこともある。戦士の神殿でジャガーがどこかへお散歩中に見つけることのできる穴。ここをほじくる前にやっちゃいけない。ひらめきで超絶合体させると分離させることができなくなる。ほじくるための小杖は何をしようがもう手に入らない。つまりハマリだ。気合を入れれば森の中にある遺跡なんだから、小枝くらいいくらでもあるだろう。気合を見せろ気合を!
ちなみに、なんでもかんでも合体させると碌なことはない。それは今後色々学ぶことになる。
金の台座を落としちまった!
金の台座を所有している状態で泉の底に光っている金の笛を取ろうとすると、金の台座を泉に落としてしまう。もちろん女神が金の台座を携えて「お前が落としたのはこの金の台座か?それとも銀の台座か?」なんて現れてくれない。二度と手に入れることはできなくなりハマる。『イース』で手に入れることができる金の台座は落としてしまったものを見つけるというパロディ。
稀に金の台座を先に取ってしまうと元の場所に戻せないのでその段階でハマリと勘違いされているプレイヤーもいるが、カラコルに金の台座を置いて南の泉へ行けばドボンは防げる。
ピューと吹く!ジャガー
金の笛を無事手に入れたからといって、ジャガーが現れたらすぐピーヒョロ吹いてしまうのは待つべきだ。もし、壁の穴の奥にある鉄の小鍵を取らずに吹いちゃったならば像に戻ったジャガーは実体になることはなく、二度と穴を拝むことはできない。鉄の小鍵は手に入らなくなる。こういう時の「壊す」だと思うがまったく歯が立たない。こんな像など、ドロップキックで吹き飛ばせるだろうに。しかし気合が足りないのか何もできない。つまり、これはハマリなのだ。
とりあえず取ってみた
球戯場を訪れると意味ありげに登場する歯車。奥にある青いブロックを手に入れる前に、石の歯止めを取ると通路が閉じて二度と開かない。石の歯止めを元に戻してももう遅い。なんという意地悪な罠。
石のハンドルがあれば歯車を回すことはできる。しかし、石のハンドルを入手するには青いブロックを手に入れているのが前提条件。ここが開かないと脱出口として後に使用するときハマる。
やっぱり罠…ですよねー
球戯場で青いブロックを手に入れると右に通路が現れる。その先には…展示しているかのように銀の鍵が安置されているではないか!喜び勇んで手に入れると…通ってきた入り口は轟音と共に閉じてしまう。そして、どの方向へ移動を試みようとも先へ進むことはできない。完全なハマリだが、ハマったことが分かりやすい親切設計だ。これまでと異なるのは生きて戻ることはできないということだろう。
いきなり取るのはダメ(2度目)
カスティーリョ地下で いきなり石のハンドル取ると支えていた軸を折ってしまうため元の場所に戻せなくなる。こうなると石のハンドルを使って回すなんてことはできなくなる。つまり、ハマリだ。ちなみに、どうやっても軸は折れてしまうのでそれ自体は問題ない。順番を間違えないようにするのが重要ということだ。しかし、そんなもんわからないので「取る」の前には必ずセーブだ。
ノーヒントでどちらか選べ
いけにえの泉の下で待ち受ける扉。怪しげな像が左右に並んでいるが、適当に動かすともうやり直しできないハマリとなる。何かアイテムが必要なのか?それとも像を動かす順番があるのか?と色々考えても無駄だ。お前はすでにハマっている。
チャレンジ精神はほどほどに
いけにえの泉の下で待ち受ける扉。正解を知って今度は開いたぞ。しかし、気になる左側の像を動かすとどうなるんだろう?なんて好奇心、冒険心をかきたてるだろう。動かすと扉は見事にきちんと閉まり、二度と開かない。チャレンジ精神は大事だが行き過ぎるとハマるということを学べ。
興味本位は死を招く
やっとの事でいけにえの泉の入り口を通り抜けると球技場の先で見た 銀の鍵が安置されている場所に出る。こんなところと繋がっていたのか。銀の鍵を取ると前と異なり右の出口が閉じる。焦ってここで銀の鍵を元の場所に戻すと左の出口まで閉じてしまう。なんてこった。こうなると銀の鍵を取ろうが置こうが何も起きない。ハマリだ。
出口の確保は大事
今度は余計なことはしないぞ!そういえば、球戯場で閉じた通路のことは覚えているだろうか?球戯場で通路を石のハンドルと石の歯止めを使って開けておかなければ、銀の鍵を手に入れてもやはり脱出する方法はない。前に進んで脱出することも、やはりできない。ハマリだ。脱出口を先に用意しておくというパズルゲームのような要素が顔を出し始める。
洗い物は済ませたか?
銀の鍵を手に入れ喜び勇んで高僧の墓にある地下へ駆け下りると何のメッセージも出ないのに戻ることができなくなる。もし、黄金の鏡を南の泉で洗っていなければ天井から注ぐ光を汚れで反射することができず出口は永遠に現れない。ハマリだ。
人間死ぬ気になれば唾液や悔し涙を使って鏡を綺麗にすることはできるだろうに。そういうところだぞ!
出口を先に確保しろとあれだけ言ったのに
黄金の鏡を南の泉でばっちり綺麗にしてきた。さて、まずは銀の鍵を使って棺を開ける。たしかに棺は問題なく開いた。しかし、同時に降り注いでいた光はぱったり消えてしまった。黄金の鏡があっても反射する光がなければ、もう何もできない。つまり、これはハマリだ。
出口の確保は1つだけじゃないぞ
高僧の墓の地下で黄金の鏡を使い出口が出現させてもトラップは続く。ここでカスティーリョでの伏線を回収する。カスティーリョで頭の無い像に銀の首を乗せると階段ができた。先には何もない部屋だったのだが、これが高層の墓と繋がっていたのだ。ここがきちんと確保できていないと、壁の通路から出た瞬間に閉じ込められる。一目瞭然のハマリだ。後ろの出口が閉まらなくてもどうせ出られないんだけど、空間が狭くなる分酸素が無くなるまでの時間は短くなるだろう。
超絶合体!銀の首!
球戯場の正面奥には頭のない戦士の像がある。明らかに色合いが違うものの乗るんじゃないか?と千住の間で手に入れた銀の首を置いてみた。わーい!乗ったじょー。
なんて喜んでる場合じゃない。押しても引いても銀の首は完全合体して取ることができなくなるのだ。ちょっとした火遊びのつもりがハマリだ。
超絶合体!金の首!
カスティーリョにも首の無い像があったのは覚えているだろうか。銀の首を置くと地下への通路が現れ、取ると通路は消える。ならば、金の首を置いたら何が起こるか試したくなるだろう。新たな通路が現れたりしちゃったりなんかして…と期待を込めて乗せるとうんともすんとも言わない。そして、首を取ろうとしたら超絶合体していて取れないのだ。こうなれば、もうハマリだ。 間違えた首をくっつけるとアロンアルファでも滲み出す仕組みでもあるんだろうか。
方向音痴の探検家
球戯場で新しい入口を見つけてすぐに飛び込むとまず第一の関門だ。底浅のカメと小杖を持っていなければ、方位磁石的なものが作成できないので迷子のままハマる。もちろん、持ち物が揃っていても組み合わせのひらめきがなければハマる。「迷ったみたいです。」じゃなくてもっと気合い入れて出口探せよ!
そういえば置きっぱなしだった
カスティーリョで使った青いブロック。だが、まさかのまさか、最後のココで再利用するなんて思いもしないだろう。ここは、迷ってしまってどうにかたどり着ける唯一の場所なので青いブロックを持っていないことに気づいても遅い。ルーラなんて呪文はこのゲームにないのだ。ハマリだ。
置きっぱなしじゃなくても
アイテムと知恵を使って球戯場の迷路をくぐり抜けた先は小部屋があるもののやはり行き止まり。出口を確保しておかなければ脱出できないという教訓はここでも活きる。まあ、遅いんだけども。
太陽の鍵を手に入れたとしても出口がなければ意味はないのだ。ハマリ!
経験なんてものは役に立たない
持ち物を駆使して球戯場で白いブロックを発見!手前の場面では青いブロックを取ったら右に通路が現れた。ということは…これを取れば左に通路ができる!なんて経験をもとに行動する。
「ゴゴッ」なんて思わせぶりな音がするということは何かは起こったんだろうけど、結局通路は現れない。経験に基づいた行動は逆に罠にはめる絶好のチャンスである。そう、ハマリである。
急がば回れ
取ってダメなら押して見よ、ということで白いブロックを押してみたら通路ができた。その先には…太陽の神殿、そして 太陽の鍵が!あらゆる知恵を絞り、太陽の鍵を手に入れたその瞬間、入ってきた通路の壁が閉まっていき見事に閉じ込められた。
目的は達成したので、これでエンディングでもいいじゃないか。難点を上げるとすれば太陽の鍵を持ち帰ることができないだけ。それはミッションに含まれていないじゃないか。と、何を言おうがハマリである。
小人化失敗
あまりにも小さな太陽の神殿の中に黄金の鍵はある。タイミングを計らないと身体を小さくするという大きい薬ツボを使用しても何も起きない。もちろん小さい薬ツボを使っても何も起きない。しかも1回使うとご丁寧に持ち物から無くなる。そして、小さくなるなら小さい薬ツボだろう、普通は。
もたもたしたら終了
太陽の鍵を前にしてあとは取るだけだが…、そんな簡単に取れるわけがないよね。なにか罠があるに違いないよね。まずは一歩下がって様子を見よう、なんて後ろに下がるとせっかく開いた神殿は閉じてしまう。急いで行動すると碌なことはないという経験則は身を滅ぼす。身体を小さくする薬はもう残っていないので、ハマリである。
裏技の紹介
◆隠しグラフィックを見る
Bディスクで起動するとメッセージ出て隠しBGM「Una Muchacha de la Aldea(村娘)」が流れる。コマンドプロンプトが出て待機状態になったらキーボードから「MIHO」と入力すると女の子のグラフィックがロードされる。この女の子のモデルはプログラマーである橋本昌哉の娘さん。(名前はHITOMIちゃんで当時1歳)
更にHを押すと一瞬だけ服が消える。しかし、山根ともおが描いた絵とはいえ娘さんをモデルとした女の子を脱がされるのは親としてどういう気分だったのだろう。
TRACK LIST
ラジオ収録曲(FM音源+SSG)
サウンドボード
音源チップ:YAMAHA YM2203(OPN)
01 Templo del Sol (太陽の神殿) [タイトル]
02 Cenote (聖なる泉) [通常BGM]
03 Mundo Perdido (失われた世界) [不思議な気分BGM]
04 La noche triste (悲しみの夜) [エピローグ]
05 El Castillo (エル・カスティージョ) [スタッフロール]
06 Una Muchacha de la Aldea (村娘) [Bディスクでブート]
合計時間 : 7:49
作曲 : 阿部隆人
DISCOGRAPHY
ファルコムゲームミュージック
発売日: 1987年11月10日
価格: 2,800円
商品番号: 28XA179
販売元: アルファレコード
収録曲
■イースオリジナルゲームサウンドトラック
01 Feena
02 Fountain Of Love
03 First Step Towards Wars
04 Palace Of Destruction
05 Beat Of The Terror
06 Tower Of The Shadow Of Death
07 The Last Moment Of The Dark
08 Final Battle
09 The Morning Grow
10 See You Again
■オリジナルゲームサウンドトラック
11 太陽の神殿
12 ドラゴンスレイヤーIVドラスレファミリー
13 ロマンシア
14 ザナドゥシナリオⅡ
■イースPC88サウンドボードⅡバージョン
15 Palace Of Destruction
16 The Morning Grow
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攻略方法
15. 使う:くぼみ
(どちらでも可)
黄金の鏡
金の笛、バンドエイド
戦士の神殿 (Templo de los Guerreros)
片目のマスク、赤の玉
BGMが変化している間は壁画が見える。
(見なくてもクリアはできる)
(どの方向でもok)
(満月なら116へ)
両目のマスク、赤の玉
両目のマスク、青の宝珠
小杖、底浅のカメ
(半月なら139へ)
右 → 後 → 後 → 後 → 後 → エンディングへ
エンディングムービー
■エンディングムービー